2007年9月7日金曜日

京都・宇治川に護岸跡 松製くい300本など権勢示す 秀吉流治水75メートル『太閤堤』



京都府宇治市の宇治川右岸で、豊臣秀吉が十六世紀末、伏見城築城に伴い前田利家らに造らせた「太閤堤」の一部とみられる大規模な護岸跡が見つかり、宇治市歴史資料館が五日発表した。

 護岸は江戸時代後期に度重なる洪水で埋没したらしく、これまで存在が分からなかった。護岸の石やくいも約四百年前の姿のままで、資料館の杉本宏文化財保護係長は「太閤堤の遺跡がこれほど大規模に発掘されたのは初めて。秀吉の権勢がうかがえる」としている。

 約一・五メートルの地中から、南北に延びる長さ約七十五メートルの護岸(幅五・五メートル、高さ二・二メートル)を見つけた。表面には宇治川上流の岩が積み上げられ、斜面の下には護岸の崩落を防ぐため直径約二十センチの松くい約三百本が打ち込まれていた。斜面や上部の平たんな面には割り石が張られていた。

 護岸に直接強い水流が当たるのを防ぐ台形状の「石出」(幅約九メートル、長さ約八・五メートル)も発掘した。

 同資料館によると、太閤堤は一五九四(文禄三)年に左岸の「槙島堤」から工事を開始したとの記録はあるが、右岸の記述はなかった。一九七九年、堤防工事の際に一部が見つかった槙島堤と同じ石材を用いており、護岸は太閤堤と判断した。現地説明会は八日午前十時から。